銅でもいい話 / 文・相原緑青

通信簿

探しものがあり、家のタンスの引き出しを開ける。普段はほとんど開けることのない引き出し。その中に、角や口の部分がよれよれになった紙袋を見つけた。なんとなく手に取ると、中に入っていた紙の束は子供の頃の通信簿だった。通信簿には学習の評価、生活態度の評価、担当した係、出欠日数、担任教師からの所見、家庭からの所見などの欄がある。あれ、小学校1年生の私。何係だったろうか。

1学期は「窓係」と記載されている。あまりよく覚えていないけれど、朝学校に着いたら教室の窓を開け、その日一日終わったら窓を閉めて帰るという、派手さには欠けるものの、生真面目さが重要な係だったと思う。

2学期は「テレビジョン係」。なんだか大げさな名前の係だが、内容は社会や理科の授業中、教材のテレビ番組が始まる時に教室前方にあるテレビをつけ、番組が終わるとテレビを消す。ただそれだけと言えば、それだけである。小学校1年生の子供が手を伸ばせば届く位の棚の上の、木で出来たケースの中にテレビはあり、観音開きの木の扉を開けるとテレビ画面が見える仕組みになっていた。さぁ、テレビの時間かな、というような雰囲気になったら席を立ちテレビの方へ歩み寄り、木の扉を左右に大きく開け、テレビをつけ、音量を確認し、自分の席へ戻る。番組が終わったら、そっと席を立ちテレビの方へ向かい、スイッチを切り、木の扉を閉じ、席へ戻る。授業の空気とタイミングを読み、かつ授業全体の流れを切らないように。そして、そのためには自分の存在が目立ってはいけない。今思えばどちらかというと、黒子の要素が強い仕事である。当時の私はもちろんそんなことなど考えもせず、ただただ任務を遂行するのみだったろう。1年生にして、知らず知らずのうちにこんなに意味深い社会勉強をさせてもらっていたことになる。男子の真澄君とコンビの仕事だったので、真澄君がテレビをつけるときは私が消し、私がつけるときは真澄君が消した。

3学期。担当した係の欄。なんと、またも「テレビジョン係」と書かれている。これはいったいどうしたことか。私の仕事ぶりがクラスに認められ、続投することになったのか。まさか自分で立候補したのか。それとも、3学期はそもそも全ての係の変更がなかったのか。この辺りの経緯はまったく覚えていない。できることなら当時に戻って、事情を確認し、真実が知りたい。

次に出てきた通信簿。小学校2年生のもの。目を通すと、数カ所気になる点がある。担任教師からの所見の欄である。菅野先生より。

1学期「・・・学習した内容が身についていますが、やや消極的です。発表力をもっとつけたいです。」
3学期「行動面でやや消極的に見える部分がある。・・・元気よい活動的な友達が多い。」
そして家庭からの所見。親が書いた部分。「・・・家庭においてもやや消極的ですので、もっと役割を与えて自主的に行動できる子になってほしいです。」

算数の時間、筆算で足し算の問題が出され、無心に解く。しばらくすると菅野先生が言う。「分かった人は手を挙げて下さい。」一応机の上で答えを出してはいるものの、なんとなく、ぐずぐずして手を挙げない自分のそばで、軽やかに手を挙げて級友が答える。そして、自分の答えも合っていることが分かると「あ、よかった。」と、ひとりほっとするのである。人にはそれぞれリズムやタイミングがあるということだろうか。当時の私は、例えて言うならば、やって来る波になかなか乗れないサーファーだったのかもしれない。これを大人たちは「やや消極的」と表現したのだろうと思う。しかし私自身は、波に乗れずとも、ただ水に浮かんで漂っているだけで、それなりに楽しみを味わっていたような気もする。

そんな波乗り下手な私だが、「元気よい活動的な友達が多い」とのことだと、どんな遊びをしていたのだろう。ドッジボールは苦手で、出来る限り避けていた記憶があるけれど、大縄飛びや鬼ごっこのような外で動き回る遊びも、もちろんやった。またそれとは別に、休み時間2、3人の友達と机を囲んで、とりとめもない会話をしながら、好みの文房具を使って自由帳にちょこちょこ落書きしたりすることも好きだった。私にとっては、こちらの時間の方が、穏やかな波間にぷかぷか浮かんで空を眺めているような、そんな感覚だったのではないかと思う。

気がつけば、私はタンスの前でしばらくの間、ひとり正座をし、うつむき加減に通信簿を手にしながら当時の自分と対面していた。そして普段忘れていたようなことが、こんこんと自分の中に湧き上がってきた。通信簿の入った紙袋の中をよく見ると、小さなポーチのようなものもある。中には十円玉2枚と自転車の鍵がひとつ。十円玉は、いわゆる「ギザ十」と言われるもので、縁が細かくギザギザしている。こういう十円玉は珍しいんだよと、友達に言われ取っておいたのかもしれない。自転車の鍵は何歳頃の自転車のものだろう。それを思い出すことはできなかったが、初めて補助輪なしで自転車に乗る練習をしたときのことを思い出した。仲良しの友達が補助輪なしの自転車に乗っている。これは私も練習せねばと思い立つ。当時住んでいた社宅の前の道。母か兄弟か、近所の年上の友達か。誰かがいっしょにいた。よろよろ運転し、道の端の段差にタイヤを引っかけ、横にすっころびながら練習したのは小学校1年生の夏の初め。ちょうど私が窓係に勤しんでいた時代である。

銅でもいい質問

さて、皆さんは小学生のとき、何係だったのでしょうか?
こっそり教えてほしいです。
教えてくれた方の中から「くじびき」で一名様に、上の写真に撮った銅のプレートを差し上げます。
複数の方が教えてくれますように。「くじびき」ができませんから。

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相原緑青

銅や真鍮を使って鍋や匙、器などを「群青ラボ」という名前で制作しています。